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溺愛シュガーハイ

 好きな人がいる。
 職業アイドル。十六歳、高校二年生。身長百七十六センチ、細身で華奢な美少年。少し挑戦的な目元は涼やかで、薄い唇から笑みがこぼれる様は、まるで少女漫画の王子様。性格はいたって温和。だけど少し悪戯っぽいところがあるみたいなのがまた素敵。
 二年前、某芸能事務所が開催したオーディションにて並居る強豪を打ち破り、アイドルグループTIMEの一員としてデビュー。芸能人と高校生の二束のわらじを履きながら、着々とファンを増やしている模様。
 そんな彼の名前は藤本悟。先週ファースト写真集が発売したばかり。
 さて、どういうわけかその藤本悟と同じ高校、同じ学年、同じクラス、しかも座席は隣同士、という恐ろしいほどの幸運に恵まれて、毎日苦しいほどのときめきを抱えて死にそうな日々を送っているのが、工藤都紀。写真集は三冊(観賞用、保存用、人にみせびらかす用)予約して買った、生粋のアイドルオタク。いや、藤本悟オタクである。
 ――アイドルだとかそうじゃないとかもう関係ない。都紀は藤本悟が好きなんだ。



 夕日が赤く染めた空を、カラスが一声鳴いて飛んで行く。
 貯水槽の影に座り込み、優雅に午後のサボタージュを楽しんでいた都紀は、西に傾く太陽を見ながら、大きな伸びをした。
 さて、そろそろ帰りのホームルームも放課後の掃除も終わっただろうし、教室に置きっ放しの鞄を取りに行ってさっさと帰ろう。
 立ち上がり、校則をゆうにぶっちぎった色々な意味でぎりぎりの長さのスカートのプリーツを整える。足取りも軽く貯水槽から飛び出そうとひょっこり顔をのぞかせたが、夕日に包まれた屋上の柵の際に人影を見つけて引っ込んだ。
 とりあえず都紀の所見ではただいま告白の真っ最中。こちらに背を向けた小柄な――と言っても、比較的長身の部類に入る都紀からしてだが――女子生徒と、彼女と向き合う男子生徒。あいにく逆光なので彼がどんな人なのかはわからない。
 こんな状況で「はい、ちょっとごめんなさいよ」なんて出て行けるだろうか。いや行けない。青春真っ只中な二人を邪魔する権利なんて誰も持っていないのだから。というわけで、今は影の中でじっと息を潜めているのが大正解。断じて、野次馬根性というわけではない。本当だってば。
「あ、あの、私、ずっと前からその……くんのことが好きで……それで、えっと……べ、べつに、つきあってほしいとか、そういうんじゃないんです。ただ、知ってほしかっただけで」
 ただ知って欲しいだけ。なんて奥ゆかしいことだ。おどおど言葉を続ける女子生徒に対して思ってしまう。
 さて、彼はどう返事をするのだろう。
 聞き耳を立てる。
「だ、だから、あの、ご、ごめんなさい! 忘れてください!」
 次の瞬間聞こえたのはかわいそうなくらい緊張しきった高い声。ちょっと待て、そんなタイミングでそんなこと言ったら、くっつくもんもくっつかないよ! と内心突っ込む暇もなく、コンクリートを蹴る小走りの足音。後には男子生徒だけが残ったようだ。
「……」
 気まずい。
 恥ずかしいのはわかるけど、せめて返事くらいは聞いて帰って欲しい。
 そろりと顔を覗かせる。早く帰ってくれないかな。
 すると人の気配に彼がこちらを振り向いた。
「――工藤さん?」
「さ……ふ、ふじもとくん」
 意味もなく彼の名前を呼んで、都紀は気まずさに引きつり笑い。まさかこの人がここにいるとは思わなかった。
「ど、どしたの。こんなところで」
 見とれてしまいそうに鮮やかに、悟は整った顔に苦笑を浮かべる。
「ちょっと呼び出されたんだ。どうしよう、嫌なとこ見られちゃったかも」
「えっと……見てない、から。大丈夫だよ」
 聞いたけど。
「それにあたし、出版社に売ったりなんか絶対しないから!」
「今時それぐらいじゃ出版社だって買わないよ」
 勢いで言うと、悟は少し表情を緩める。正真正銘の微笑みに今度こそ見とれた。
「工藤さんって、やっぱりいい子だよね」
「そう、かな……」
 いい子なんて言われ慣れてないから照れくさい。しかも発言者は好きなアイドルで片思いの相手だ。ニマニマしてしまうのをおさえられずにいると、悟が軽く首を傾げる。
「どうかした?」
「え、あ、な、なんでもない! なんでもないよ、藤本くん!」
 これじゃあ浮かれているのがばればれだ。何か話題を別のところに持っていかないと。
「げ、芸能人って大変だよね。あ、ああいうことって、たくさんあるの」
 よりによって持っていった話題がそれか。
「ああいうこと?」
「その……告白されちゃったりとか」
 語尾がだんだんぼやけていく。ついあまり考えずに口に出してしまったが、これって気に障ったりとかしそうだ。嫌だな、気を悪くしたらどうしよう。
 小さくため息が聞こえた。
「そういうファンレターも来るには来るかな。でも、直接言われたのははじめて」
「へぇ……そうなんだ。なんか、意外」
 悟は屋上の柵にもたれかかって都紀へ視線を流す。この夕日が都紀の頬の色を上手にごまかしてくれますように。
「どうして?」
「なんか芸能人ってもっと、こう、激しい感じのがたくさん来るのかなーって」
「全く無いってわけじゃないけどね。よっぽどひどいのは事務所で止めるみたいだし」
 思い出してうんざりしたのか視線を伏せる悟に慌てた。
「ご、ごめん、変なこと聞いた。芸能人ってやっぱり大変だよね」
 悟はゆるゆると首を振った。
「工藤さんが謝ることじゃないよ。大変なのは否定しないけど」
「……やっぱり?」
 芸能人、しかもアイドルという職業がただきらびやかなだけではないのはなんとなく少しだけわかる。
「やっぱり、そうなんだ」
 呟くと、悟は少し表情を曇らせた。
「――好きな子が見てくれるとは限らないっていうのは、辛いかな」
「……え」



 七つ目のタルトをたいらげて、ホイップクリームのたっぷり乗ったプリンへと手を伸ばす。口の中が甘い。吐く息も甘い。こんな食生活を続ければ、糖尿病へとまっしぐら。
 でもいいの。これはやけ酒ならぬやけ糖分だから。
 明日からはちゃんとご飯食べるから。
 口の中でさらりと溶けるホイップクリームを飲み込んで、甘く重いため息をつく。
 わかってるわかってる、よくわかってる。
 好きな子がいる。そんなの、当たり前のことじゃないか。別に特別なことでもなんでもない。
 都紀が悟に恋するように、悟も誰かに恋してるんだ。
 ベッドによりかかり、殺風景になった部屋を見回した。今悟に囲まれた部屋にいるのは辛すぎる。今まで集めたCD、DVD、写真集などなどには、しばらく押入れで眠ってもらおう。
 そう思いながら黄白色のとろけそうなプリンを味気ないプラスチックのスプーンですくった。
 どんな、人なんだろう。
 あの悟が好きになるくらいだから、きっとすごい美少女だ。たとえば、そうだ、今やってる映画の主役を張ってるあのアイドルみたいな、華やかな美少女。
「……あは。美男美女カップル」
 笑ってみる。
 空元気だ。
 言葉とは裏腹に飛び出てくるのはため息ばかり。
 ため息が、重い。



 一晩明けて、立ち直るとまではいかないけれど少し心は落ち着いた。だけどなんとなく学校に行きたくなくて、うだうだうじうじワイドショーを眺めていたらおはようというにはちょっと遅い時間に起きた兄によって、弁当箱と一緒に家から叩き出された。
 しかたがないので自転車をとろとろ押しながら、普段の三倍は時間をかけて学校に行く。時刻はすでに五時間目の終了間近。
 職員室の遅刻者名簿に工藤都紀と殴り書き、折り悪くちょうど職員室でまったりしていた生徒指導からお小言をいただき、二年C組へ。
 もう六時間目の授業が始まっていたので、後ろのドアを静かに開けて、窓際二列目一番後ろの自分の席に視線をやって、瞬間逃げ出したくなった。
 いるし! 藤本悟!
 窓際の一番後ろの席で少し気だるげに頬杖ついて、ぼんやり黒板を見つめている。細い黒ぶちの眼鏡が嫌味なくらい似合っていて、ああ王子様は眼鏡をかけてもやっぱり王子様だ、とぽーっとしながら思った。
 すてき、すてき、今日もすてき。ああ、また惚れ直しちゃ……じゃなかった、惚れ直してる場合じゃない。今の心情にふさわしい効果音はどきん、じゃなくて、ずきん……っ(ハートが痛む音)だ。
 失恋、したんだから。
 胸がきゅんきゅん疼いて苦しい。
 そっと視線を外そうとがんばっていると、午後の授業に飽きたのか、ふと、悟が、こちら、に、顔を、向ける。
 目が、あった。
 悟、微笑む。
 都紀、たじろぐ。
 悟、唇だけでおはよう。
 都紀、黙ってドアを閉める。
 そのまま、屋上に向かってダッシュ。
 ぜーぜー息を切らしながらお気に入りの貯水槽の裏へ回り込み、腰砕けになって座り込む。耳まで燃えそうなほど熱いのは絶対走ったからなんかじゃない。
 どうしよう。
 どうしよう。
 わかってるのに、どんどん好きになっていく。
 抱えた膝に顔を埋める。溺れそうだ。この感情、どうにもならない。
 苦しくて苦しくて、肩が震えてどうしようもなかった。

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