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君の全てが可憐

 彼はよく花をくれる。
 赤い花、白い花、黄色い花、青い花、大きい花、小さい花。
 殺風景な彼女の家が、花でいっぱいになるほどに。
 手の中の黄色い花を弄び、彼女はかくんと首を傾げる。
 それは別にいい。枯れた花の始末はどうするんだ、なんて怒るほど彼女は無粋ではないし、大量の花の仕入先を考えるほど、彼女は現実的な少女ではない。
 ただ意味がわからないだけだ。
 戯れのような、その振る舞いの意味が。
 指先でそっと花びらをなぞる。数は全部で三十六本。鮮やかな黄色のそれは、迂闊に触れると崩れてしまいそうなほど、繊細に複雑に重なっていて、なまっちろい指が小刻みに震えた。
 この花の名前は知っている。真っ赤で、棘だらけで、つんつんしているいけ好かない花だと思っていたのに。
「こんな花、知らない」
 棘を取った黄色い薔薇は、なぜかとても愛しく思えた。

 一日目、薔薇を見ながら悩んでみた。
 二日目、こうしていても仕方が無い、と彼の友人に聞いてみた。わかるわけねぇだろ、と馬鹿にされた。なぜか二人が二人ともにやにやしていた。
 三日目、こういうことは女の子に聞いたほうがいいかもしれない、と今度は彼女の友人のところに行ってみた。黄色い薔薇をたくさんもらったと話したら、今すぐ彼のところに行け、と叱られた。
 というわけで、彼女は今、彼の部屋にいる。
 ぺたりと足を崩して、ベッドもたれて座っていると、長い腕が上から伸びて彼女の髪で遊び始める。
「どうしてあたしに花をくれるの?」
 寝そべったまま、彼は笑う。
「心当たりはないんですか?」
 それがわからないからこうして聞きに来ているのに、と彼女は唇を尖らせる。彼はこうして、時々ひどくいじわるになる。
 眉を寄せて、彼の手を払った。
 嫌いだ、こんな意地の悪い人。いつもそうだ、きれいな顔して彼女をからかって遊んで、やきもきさせて笑っている。
 それなのに、と唇を噛んだ。彼に会えると嬉しくて嬉しくてしかたがなくて、普段よりずっとはしゃいでいる自分がいる。
 要は戸惑っているだけなのだ。彼がどんなつもりなのかがわからなくて。
 物を知らない少女で遊んでいるだけならそう言って欲しい。そうすれば自分も割り切れるから。
 膝を抱えてうんうん考え込んでいると、するりと彼の指があごにかかった。そのままくい、と持ち上げられる。
 身を乗り出した彼が、顔を覗き込んでいた。
 きょとんと彼を見上げると、すんなりとした指がやわらかく前髪を払う。
「やきもちに嫉妬――愛情の減退とも言うかな」
「……なあに」
 わけがわからない。だけど、決して喜ぶようなことを言われたわけで無いことは理解して、尋ねる声はいやに弱々しかった。
 床に置いた指がわずかに震える。
 もしかして、遠まわしに嫌いだと言われているのだろうか。
 さあっと顔から血の気が引いた。
 たぶんもう少し経ったら、自分はひどく落ち込むんだと思う。もしかしたら泣くかもしれない。この期に及んでうっとうしく泣き出したら、きっともっと嫌われてしまうから、その時はさっさと逃げ出して誰にも見られないところで一人で泣こう、とまで考えて彼から目を逸らした。
 直前までぼんやり見上げたはぐらかすような色の笑顔も、あごにかかったままの指先も、言葉とは裏腹に妙に優しくて余計に辛い。
「突き放すなら半端にかまわないで」
 思わず言葉を零すと、彼はわずかに目を瞠る。そして苦笑すると、むき出しの彼女の額に唇を寄せた。
 触れるか触れないかの感触に息を呑む。
「そんなもったいないことしませんよ」
 喉の奥で小さな声が漏れた。
 ますますわけがわからない。もったいないとはどういう意味だ。
 頭の中がぐるぐる回って、あれもこれも全部溶けて混ざってめちゃくちゃになってしまいそう。
 言いたいことはたくさんあるけど、どれもこれもいまいちしっくり来ない気がして、少し涙が出そうになった。
「わ、わかんない……」
 何とかそれだけ絞り出し、泣かないように目頭に力を込める。その瞬間、彼女は驚愕に悲鳴を上げた。ベッドの上から伸びた腕が、彼女の体を引きずり上げたから。
 むりやりそこに腰掛けさせられて、背後から絡みつくように腕が回った。
 柔らかい笑い声が耳をくすぐる。
 背中に感じる体温に、彼女は激しく首を振った。
「わざわざ突き放したりなんて、ね」
 もったいぶった口調がもどかしくてたまらない。何でこんなに余裕があるんだ。こちらは寿命が縮んでしまうぐらい心臓が高鳴って高鳴って仕方が無いのに。
 そっとあごの辺りをくすぐられ、怯えたような高い声をあげた。
「――君の全てが可憐」
 指を払って彼女は振り向く。からかうような視線と真正面からかち合った。
「黄色い薔薇の花言葉だよ。やきもち、嫉妬、愛情の減退、それから、君の全てが可憐」
 するりと、絡んだときと同じくらいのしなやかさで拘束がほどかれる。
 頬が熱い、呼吸も熱い、頭の上から足の先まで不自然なくらいに熱を持っている。
 みっともないくらい真っ赤な顔を見られたくなくて、両手で顔を覆った。
「……まさか、今までのも、全部」
「今頃気が付いた?」
 いつ気付くか楽しみだった、と耳元で告げられて、彼女は今度こそだめになった。

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